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軍医総監森鴎外と脚気、メンマ成功(^^) 2015-01-29 [日々の出来事]

昨夜から冷え込みが厳しい。
降霜だけでなく昼間の気温が上がらない。
書類を郵送するために亀甲郵便局にバイクで、
しかも、別件で印鑑が必要になり二往復もしてしまった。
身体が冷えきって、知恵熱ならぬ風邪の寒気と熱が(;_;)。
昼間から和室の電気炬燵で、
ちゃとらんに添い寝してもらって、脚の間にはふーちゃん、
掛け布団の顔・胸の上にはアメメという、
超危険な配置で午睡を1時間半ほどとった。
アメメくんが踏み踏み以上の行為に及ぶことがなくてホッとしている。
やっと頭と身体が覚醒、
安全を期して体内のアルコール消毒「as is」byらしゅえいむさまをしかけたが、
あっ、今夜も個別指導の日だった。
それが終わってから存分に脳内をアルコール消毒することにしよう。
 
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食堂の2頭(左みうめちゃん、右ノルくん)もお行儀よく仮眠中。
苦悩と無縁の表情に見える。
こっちまで嬉しい。

【メンマづくりに挑戦】 
DSCF5018.jpg
昨夜遅い時間に味付きメンマをつくった。
去年の五月に実家の竹藪の筍を水煮にして冷凍庫保存していたものを使用。
写真の二倍あまりあります。
例によって途中で写真を撮ることに想到。
冷凍庫の威力は素晴らしい。
8ケ月経っているのに色も香りも良好。
クックパッド(みうめちゃんが会員登録(=^ω^=))のレシピをいくつか参考に、 
DSCF5020.jpg
好みの大きさにカット。
胡麻油で炒め煮しながら、
松竹梅本辛燗酒をじゃぼじゃぼと、
味醂を少々、鶏ガラスープの素、醤油と加えていって、
あっ、自家製ハバネロたっぷりタバスコも忘れてはいけません、
DSCF5022.jpg
水分が飛ぶ手前で完成。
部屋中にラーメン屋さんのような匂いが満ちました。
味もばっちりです(^_^)v

メンマ(麺麻)、昔はシナチク(支那竹)と呼んでいました。
ぼくが10歳のとき発売された桃屋の味付メンマのCMからメンマの呼称が広まった感じです、田舎では。
Wikipediaによると、戦前から関東地方を中心に「支那そば(東京ラーメン)」の定番具材。メンマという名称は、丸松物産の前身にあたる貿易会社が旧来より台湾で製造した乾筍に「SHINACHIKU」と名称をつけて輸出販売していたところ、昭和20年代に台湾政府から「台湾産なのに支那の竹とはどういうことか!」と抗議を受けた。そこで丸松物産創業者の松村秋水が「SHINACHIKU」に変わる商品名として新たに「ラーメン(拉麺)の上にのせる麻竹でメンマ(麺麻)」を考案したのが始まりとのこと。
 
DSCF5025.jpg
ノルくん「kontenten家のエルちゃんに贈り物があるみたいだよ。『調べ学習 森鴎外』をうちのojiojiが何時間もかけてまとめたんだ。何でも、親愛なる森鴎外の汚名返上になるとか、ぼくにはよくわからないことを言ってるよ」
 
【調べ学習 軍医総監森鴎外と脚気-----お時間の許すときにどうぞ】 
今回は文豪としての鴎外ではなくて、陸軍軍医としての鴎外について調べてみた。
彼が脚気伝染病説を支持してビタミン欠乏説を否定したために、陸軍の兵隊が脚気に苦しみ続けたという定説があるが、はたして本当にそうなのだろうか。
以下、Wikipediaや他のサイトからの興味深い記事をまとめてみた。

脚気の原因は、当時は未知であった微量栄養素ビタミンB1(チアミン)の欠乏。

明治期の主な脚気原因説としては、
「米食(白米食)原因説」(漢方医の遠田澄庵)
「伝染病説」(エルヴィン・フォン・ベルツなど)
「中毒説」(三浦守治など)
「栄養障害説」(ウェルニッヒなど。ただし既知の栄養素を問題にした)
が挙げられる。とりわけ、ベルツなど西洋医学を教える外国人教官が主張した「伝染病説」が医学界の主流に。

脚気は「江戸患い」「パリ患い」と呼ばれて、普通の病気と違って貧困層よりも生活に余裕のある層に多発。明治以降、帝国軍人の職業病となり、国家的大問題に。
建軍期の日本は海軍がイギリス、陸軍はフランス後にドイツを範としたため、海軍は栄養障害説、陸軍はドイツの伝染病説(細菌説)を信じていた。

1911年明治44年、
都築甚之助の動物脚気実験と製糠剤アンチベリベリン粉末・丸販売。
鈴木梅太郎のオリザニンの販売。

1912年2月、イギリスのカジュミシェ・フンクは「ビタミン」「ビタミン欠乏症」という新しい概念を提唱。

当時、国内では依然として伝染病説と中毒説の勢いが強く、「未知栄養欠乏説」はなかなか受けいれられず、脚気の原因説をめぐる混乱と葛藤がつづいた。

1921年大正10年に脚気ビタミン欠乏説がほぼ確定

1954年(昭和29年)3月、アリチアミンの内服薬「アリナミン錠」が武田薬品から発売。脚気死亡者が1千人を下回ったのはその数年後であった。

1975年(昭和50年)頃から脚気が再燃。砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といったビタミンの少ないジャンクフードの食生活が原因。

アルコール依存症患者にも多い。アルコール分解の際にビタミンB1が消費されることと酒飲み特有の偏食(^_^;)も関わる。
超高齢社会を迎えた最近では、ビタミンB1を含まない高カロリー輸液での発症も問題視されている。
 
以上の脚気史を踏まえた上で、森鴎外が陸軍軍医総監(中将相当)に昇進するとともに陸軍軍医の人事権をにぎるトップの陸軍省医務局長(人事権をもつ軍医のトップ)にまで上りつめたのは1907年(明治40年)のこと
脚気による陸軍の惨状の例としてよく紹介される日露戦争が1904年。
戦時兵食「白米6合」は大本営陸軍部が決め、勅令(天皇名)によって指示されたものであり、下部組織はそれを遵守したのみ。
日清、日露戦争での陸軍の衛生に関する総責任をおう担当者は大本営陸軍部の野戦衛生長官(日清は石黒忠悳、日露は小池正直)である。
ゆえに、当時隷下の一軍医部長(第2軍)であった鴎外はその惨状に責任を負うべき立場では無い。さらに、上記のとおり脚気の原因が諸説あり未解明の時期であった。

鴎外は、医学界の主流を占めた伝染病説に同調。経験的に脚気に効果があるとされた麦飯について、海軍の多くと陸軍の一部で効果が実証されていたものの、麦飯と脚気改善の相関関係は(ドイツ医学的に)証明されていなかったため、科学的根拠がないとして否定的な態度をとり、麦飯を禁止する通達を出したこともあった。これは現代の官僚・公務員に見られるとおり役人の基本姿勢と言えよう。

ビタミンの存在を知っている後世から、その存在を知らなかった前世に対して安易に批判すべきではない。

日露戦争時の陸軍大臣は麦飯派だった寺内正毅だったが、白米食としたのは、軍の輸送能力の問題、白米飯は庶民あこがれのご馳走であり麦飯は貧民の食事として蔑まれていた当時の世情の影響、部隊長の多くが死地に行かせる兵士に白米を食べさせたいという心情からという、栄養学とは別の事情によるところが大きい。

明治新政府の新政策の一つの国民皆兵。国民の過半を占める農家が働き手を取られる皆兵は甚だ不評、地方によっては"皆兵反対一揆"のようなこと迄起こる始末。
そこで"軍隊に行けば、白い飯が腹一杯食える"と言う"白米キャンペーン"。
農家の跡取りであった長男を事実上徴兵猶予にすることの周知徹底と合わせて、次男・三男の口減らし対策としての"皆兵政策"が軌道に乗った。
つまり"白米"が兵制を支える絶対要件であった。

鴎外の「陸軍兵食試験」が脚気発生を助長したとの批判があるが、真相は上官の石黒忠悳に試験をゆがめられ(彼は日清戦争での責任者であり、白米の兵食が原因だと判明すると自分の責任が問われる事になる)、さも脚気の原因を調べる実験であったかのようにされてしまった。

日露戦争時の海軍の脚気患者は僅か87名とあり、それを以って白米兵食により脚気を大発生させた陸軍を批難する根拠とされているが、日露戦争の頃から「海軍は脚気をほかの病名にかえて脚気患者数を減らしている」という風評あり。脚気の入院率は通常数%なのに、海軍の統計で入院率50%~70%と異常に高いことからも、入院するほどではない脚気を他の病気としていることが推定される。「脚気の症状と関連する神経系の病気の異常な多さ(全体の約8割)から、脚気が多数混入している事を否定できない」と後に研究で指摘されている。日清日露戦役の衛生記録には、入院迄至らない軽度の脚気患者が多数出ているとの記載もある。
その後、高木兼寛とその後任者たちのような薩摩閥のイギリス医学系軍医ではなく、栃木県出身で東京大学医学部卒の医学博士本多忠夫が海軍省医務局長になった1915年12月以後、海軍の脚気発生率が急に上昇。

脚気にまつわる日本軍の被害の責任を取れというなら、森鴎外ではなく日本の医学界全体の責任と言うべき。
尤も、海軍の脚気患者数が虚偽ならば、脚気感染を当時の医学で防ぐことは困難であったと言える
昔の建築物に使われたアスベストによる被害の責任を数十年後の現代に追及している姿に似たものを感じる。

付録 ビール愛好家の森鴎外(^_^)
ドイツ留学時代の『独逸日記』には「麦酒を喫す」という記述が幾度も現れる。

諸生輩麦酒を喫す。其量驚く可し。独逸の麦酒杯は殆ど半「リテイル」を容る。而して二十五杯を傾る者は稀なりと為さず。乃ち十二「リイトル」半なり。余は僅に三杯を喫することを得。是を極量と為す。蓋し諸生輩の嘲笑を免かる可らざる者あり。(『独逸日記』より)
0.5L入るようなジョッキで一度に25杯も飲んでしまうようなドイツ人に比べ、自分はたった3杯が限界で、皆んなに笑われてしまった。
 
当時の駐独大使であった品川弥二郎から「ビールを飲み過ぎる」としかられたほどであったという。

ミュンヘン大学衛生学研究所で教授に勧められて「ビールの利尿作用について」というドイツ語の論文を書いている。被験者の6人に、1日に10回、ほかに何も飲食せずビール、水、ホップ煮汁、アルコール溶液を摂取してもらうという実験を行った結果、アルコールに利尿作用があることが判明。ドイツの学会に発表したところ大いに喝采をあびたという。ビールに含まれるカリウムにも利尿作用があることがその後判明。生の胡瓜を大量に食べると小便が頻々と大量に出ることに私も納得。

細菌学、衛生学を究めてからパスツールと同様に潔癖症になってしまい、果物などの食べ物も加熱しないと食べられなくなった。煮て砂糖をかけた果物が好きで、食卓には水蜜桃、杏、梅などがのった。

風呂が嫌いで、盥(タライ)を前に身を清めるのが日課であったという。
同士よ(*^_^*) 
 
それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ

都会の人も食材の自給を楽しみましょう(^_^)v
読んでくださってありがとうございますm(__)m
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TAKUMA

脚気って昔は深刻だったんですよね。
僕の子どもの頃はまだ身体検査では重要項目だったですねぇ。
メンマ、作っておくと便利ですね。
by TAKUMA (2015-01-30 09:03) 

kontenten

私の師匠は数十倍ですが・・・数百倍で返って来ました(><)
 栄養学・・・幸い、家内も従兄も管理栄養士なので、或る程度ですが
栄養学についての話しを聞く事が出来ますが・・・やはり、流行みたいです。
家内が学生時代にお爺さんだった大先生から聞いた話ですと・・・
その教授が習った頃は『セルロース(食物繊維)は摂ってはいけない』
理由は『何の役にも立たないから』・・・今は逆ですものね・・・(w)
このビタミン説も・・・もう少し経ったら否定されるかも知れませんね^^;Aアセアセ
by kontenten (2015-01-30 11:02) 

ojioji

TAKUMAさま、脚気の検査、ぼくの頃もありました。
膝下をゴム?のハンマーで叩くやつ。
ドリフのギャグみたいにわざと蹴り上げて叱られたり、
不動の構えで叱られたり^^;
あの検査、今はもう無いのでしょうか。
by ojioji (2015-01-30 13:12) 

ojioji

kontentenさま、よい勉強が出来ました(^^)
と言いつつ、本日の記事に少し続きも^^;。と言っても、文学的に貴重な文章を紹介します。

管理栄養士さん、義姉もしておりまして、
実家でおよばれすると、食材が多種多様で、身体が喜び、
これなら百歳軽く生きるんちゃうという効き目。
kontentenさまの健啖健肝の秘訣は偏に奥様の内助の功の賜物だったのですね。納得です。

お年寄りにお肉とかもそうですよね。
食塩、卵、砂糖の扱いとかも、時代によって変わったり。
by ojioji (2015-01-30 13:21) 

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